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[地域おこし協力隊の体験談] 東京→島根にIターン ・ 三瓶裕美の場合

しまね地域おこし協力隊noteを訪れていただいて、ありがとうございます!
一般社団法人しまね協力隊ネットワーク 代表理事の三瓶裕美(さんべひろみ)です。
私は2011年に東京から移住して島根県雲南市の地域おこし協力隊に着任しました。協力隊の任期後は雲南市に定住し、島根での暮らしも、地域おこし協力隊との関わりも、かれこれ14年目となっています。
この記事では、私が体験してきたことや、この頃の地域おこし協力隊のみなさんのことなどをご紹介してみたいと思います。


なんで地域おこし協力隊に? なんで島根に?

地域おこし協力隊になった人たちの、隊員になった理由は大きく2つに分けられると思います。1つは地域おこし協力隊の活動そのものをやりたい!と考えてなった人たち、もう1つは田舎暮らしに憧れたり、ふるさとへUターンしたいなど、移住を目的としてなった人たちで、私は後者のタイプです。「農ある暮らしをできる人になりたい!」と考えて、どうやったら移住できるだろうかと情報を探している中で「地域おこし協力隊」に出会いました。

東京出身で、東京以外で暮らしたことがなかった私。移住を考える中で、「当面の収入をどうしたら良いか?」「移住先の地域の人たちとのつながりはどうやったら作れるのか?」ということが課題になっていたのですが、地域おこし協力隊として、地域のお手伝いをお仕事としてできるということは、この2つの課題をクリアできる!移住の第一歩としてありがたい!と思いました。それまでは体づくりに関する仕事ばかりをしていたので、地域についてはど素人。「地域おこし」がどんなことなのかわからないけれど、活動内容を見ながら、こういう内容ならできるかな?どうかな?と考えました。

島根だったのは、インターネットで情報を集める中でたまたま島根県の移住情報ポータルサイト「くらしまねっと」にたどり着いたのがきっかけです。それまで全く島根との接点がなく、出雲大社には行ってみたいと思ってましたが、出雲大社が島根県にあるという認識がないほど・・・でも「くらしまねっと」の情報のわかりやすさに移住者への心くばりを感じて、そこで連絡を取らせてもらったことから「地域おこし協力隊」の募集についても教えてもらいました。

その後、地域おこし協力隊のサイトで他県の情報なども見ましたが、雲南市の募集内容が気になったことや、雲南市が木次(きすき)牛乳(オーガニックのお店などに置かれている美味しい牛乳。東京でも愛飲していた)の産地であることなどにご縁を感じて応募しました。ちなみに、応募前に一度雲南市を訪問し、市役所の方にお話をうかがったり、案内していただきました。その時の印象がよかったことも応募理由のひとつです。

隊員時代のこと (2011年8月〜2014年3月)

無事採用していただいて、2011年8月に雲南市地域おこし協力隊に着任しました。活動内容は大東(だいとう)町塩田地区の担当として、地域支援にあたることでした。塩田地区は当時の人口が200人ほどの山あいの地域で、私が着任する直前の3月で地区内の小学校が閉校していました。小学校が閉校しても小学生は6名ほどいて、子どもたちが地域とつながる場づくりを保護者さんたちと取り組んだり、小学校でしていた和太鼓の活動を地域の団体として復活するお手伝いをしたり、地区の広報紙やマップづくりなどに取り組みました。

アートイベントで塩田小学校の裏山に目鼻口をつけて、山ゴブリンを作ったりも!
これ、目だけで直径3mくらいあります

当時のことは、JOINの地域おこし協力隊ホームページにインタビュー記事が残っていて、今、読むと懐かしいです。

そうした活動の一方で、募集の時に言われていた廃校の利活用に取り組むということにはほとんど手をつけられず、いわゆる「ミスマッチ」を体験して悩むことも多かったです。しかし、それも含めて、地域についてど素人な私が地域について学ぶとても大切な時間で、今の暮らしや仕事の礎となっています。

任期の終わりに向けて

地域おこし協力隊には任期があります。基本的には3年間、当時の私の場合は8月に着任して年度区切りだったので2年8ヶ月が満期でした。任期後をどうするかは隊員誰しも悩みますが、例にもれず私もそうでした。

ちなみに私は夫婦で移住しています。夫は協力隊ではなく、農業の研修生やアルバイトをしていました。「農ある暮らしを続けられるようになりたい」「有機農業や自然農をやりたい」という気持ちから、任期中、プライベートでは島根県内の自然農や有機農業をしている人たちのところを訪れたり、研修やイベントに参加していました。そうして農業の実際を学んだり、たくさんのつながりを得る中で、島根で暮らし続けたいと思うようになりました。

有機農業や自然農でつながった人たちと農民バンド(仮)という活動をしていました

移住して2年ほどが経ち、雲南市内でも地域によって地の利が違うこともわかってきました。そして改めてこれからの私たちの暮らしをどうしていきたいのかを考え、定住するための家を探すことと、「しまね起業家スクール」などに参加して生業づくりのための勉強をするなどしました。おかげさまで任期終了まであと3ヶ月をきったところで、ちょうどいい空き家を見つけ、農地と合わせて購入することができました。

地域おこし協力隊の活動については、3年目の始まりに後任を入れる予定があるかどうかを市役所に確認し、後任を入れる予定はないとのことでしたので、私が当時担当していた主なこと〜塩田地区の小学生が地域と関わる活動をPTAさんたちと実施することや和太鼓の活動、広報紙づくり、地区計画策定委員会の書記など〜を、地域の方々や市役所の支所の担当者に引き継げるように意識して活動しました。

任期後のお仕事〜起業と多業

任期後、雲南市内で引越しをして木次町日登(ひのぼり)地区で暮らし始めました。ここは移住先を決めた理由のひとつだった木次牛乳のお膝元の地域です。購入した空き家は、とりあえずそのままでも住めたので改修などはせずに暮らし始めました。(改修するほどのお金がなかったというのもありますが)

私は個人事業主として起業し、移住前にしていた体づくりに関することと、地域づくりに関する仕事をいろいろ受けていくようになりました。夫は近くの会社にパートで勤めながら、休耕田を田んぼに戻して自然農での米づくりを始めました。
屋号を「つちのと舎」と名付け、体づくりと農ある暮らしをテーマに人のつながる場づくりに取り組みました。最初は「住み開き」という形で持ち寄りごはん会や小さなイベントを開くことから始め、しまね田舎ツーリズムの民泊となって、雲南市と連携して移住検討中の方に泊まっていただくようにしたり(後に簡易宿所の許可を取りました)、3年ほど経ったところでカフェ営業ができるように改修するなどしています。

最初の田んぼは5畝ほど。休耕田を草刈りし、水を入れながら草抜きをして田んぼに戻しました。
現在は隣の広い田んぼも引き継ぎ、3反5畝ほどを自然農で米づくりしています

任期を終えて10年経っていますので、その間の仕事は移り変わったものもありますが、ずっと続けていることがあります。それは雲南市内の小中学校でダンスの授業をすることです。協力隊3年目の年に、たまたま市内で別事業が始まった際、体育の教員免許を持っていたことから声をかけてもらいました。しかし、免許があっても教員をしたことはなかったですし、小学生に教えることも未経験、ダンサーをしていたわけでもないのですが、協力隊をしている中で「頼まれごとは試されごと」という言葉を聞いていたので、まずは受けてみました。そしてやってみたところ案外うまくいき、子どもたちも先生たちも喜んでくれて、私も楽しくて、以来、ダンスや表現について学びながら続けています。今年は12年目になりますが、小中学生の時に授業をした子が先生となって再会することがあり、とても嬉しかったです。東京での暮らしでは私が子どもたちのダンスの先生をすることはまずなかったと思うのですが、暮らすところが変われば引き出されるものも違うのだな、ということをしみじみ思います。

初めてダンスの振り付けをした小学校の学習発表会
東京での自分の小学校時代とは違う、地域とのつながりや子どもたちの表現に感動しました

その他、どのような仕事を多業でしてきたのかなど、「みんなでつくる中国山地2022 生業号」に寄稿しています。この本は「ここで、食っていけるの?」をテーマにいろいろな方々の事例が読めるので地方での生業づくりに関心ある方にオススメです。

地域おこし協力隊のサポートやネットワーク

地域おこし協力隊の課題のひとつとして「ミスマッチ」が挙がることがあります。私もミスマッチを体験した一人です。しかし、ミスマッチに悩んだ経験が、協力隊を検討している方や現役隊員の助けになるのでは?とも思いました。ミスマッチが改善するような制度運用ができたら良いのではないかと考え、当時あった隊員OBOGが全国研修をお手伝いする制度に登録し、サポートに携わるようになりました。そして2017年、隊員数が増加し各県でのサポートの必要性が上がってくる中、しまね協力隊ネットワークを仲間と立ち上げました。以来、島根県の地域おこし協力隊研修の企画・運営などのサポートをするようになり、2019年からは法人化し一般社団法人として運営しています。また、地域おこし協力隊サポートデスクの専門相談員や地域おこし協力隊アドバイザーとして、全国の隊員や自治体の職員の方々とも関わらせてもらっています。

2024年度の(一社)しまね協力隊ネットワークの運営メンバー
左から 西嶋・三瓶・曽我・濱田
Shimane Kyouryokutai Net Work を表現してみました♪

地域おこし協力隊制度は地域・隊員・行政の三方よしの制度と言われていますが、その三者は「あたりまえ」が違います。「あたりまえ」が違う三者が三方よしになるためには、コミュニケーションをとってお互いを知り合い、丁寧に目線合わせをしていくことが必要だと思います。私は三者のコミュニケーションをとりやすくしていくことをサポートする上で大切にしています。

しまね協力隊ネットワークの活動は県内の協力隊のつながりがほとんどない中でネットワークをつくることを目的にはじまりました。ネットワークができるにしたがって、隊員やOBOGが自治体の境界を越えてコラボレーションすることが増えてきたことをとても嬉しく思っています。今年度、島根県では「OBOGチューター制度」を始めましたが、ネットワークができたことで、OBOGの強みを活かすことと、隊員サポートの幅を広げることができた例だと思います。

多種多様な地域おこし協力隊

さて、ここまで私の事例を紹介させてもらいましたが、地域おこし協力隊は本当に多種多様です。私が隊員だった十数年前は地域おこし協力隊制度が始まったばかりでしたので、隊員の活動内容も限られたものでしたが、制度が広がる中で、本当にいろいろな方々がいろいろな活動をしています。例として、我が雲南市の現在の隊員さんたちを何人か紹介します。

①鳥獣対策コーディネーターの山田さん

②起業型でゲストハウスを立ち上げている吉田さん

③建築を学ぶ学生時代から関わり続け、独立を機に起業型で着任した小堀さん

④子育て環境を求めて移住し、空き家流通に携わる濱田さん

同じ自治体の中でも、このようにいろいろな活動をしている隊員さんがいらっしゃることが多いです。いろいろな人たちに出会えることは、地域おこし協力隊になることの魅力の一つだと思います。

こうした島根県の隊員・OBOGの事例は、しまね地域おこし協力隊noteの「活動日誌」で読んでいただけるので、ぜひご覧ください!

地域おこし協力隊を検討中のあなたへ

まずはここまで読んでくださって、ありがとうございます!
地域おこし協力隊や移住を検討している方の多くは、これまでの暮らしや仕事に何か引っかかるものがあり、新たなステージへと進もうとされているのだと思います。
新たなステージは未知なることがたくさんですが、今は多くの地域おこし協力隊の隊員やOBOG、移住の先輩がいます。ぜひ気になる地域には足をはこび、そうした人たちの話しを聞いてみてもらうと良いと思います。
また、つながりや地域から学ぶことを大事にしてもらいたいと思います。その先にはきっと、よりあなたらしい生き方との出会いがあるんじゃないかと思います。

2024年 稲刈り前の田んぼにて夫と